つぐない

東野圭吾は、非常に作風の多彩な人だ。なかでも最近は、「死をもたらす行為に対するつぐない」をテーマに扱っている。

こうした文脈で書かれていると感じた作品は以下の二つである。

手紙 (文春文庫) [ 東野 圭吾 ]

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「手紙」は映画化されたことで話題にもなった作品。
二人の兄弟が弟の学費を稼ごうという動機から、強盗殺人を犯してしまう。兄が刑務所に入っている間、弟は「殺人犯を兄に持つ」という理由で社会からさまざまな差別と対面していく。
自分が犯したわけでもない犯罪に対して、弟はどうして罪を受けなくてはならないのか。周りの人は口でいくら優しいことを言っても、結局は一線を引いて関わらないようにする。
弟は結局兄と絶縁することでけじめをつける決心をする。

後者の「ダイイング・アイ」は、交通事故によって死に至らしめてしまう女性の恨みが加害者に押し寄せる。ちょっとオカルトチックなタッチもある。

両者とも身近にあってもおかしくはないハナシ。
交通事故による死亡は、毎年1万件もおきているという。そうすると毎年1万人の加害者と被害者とが存在することになる。

印象深いのは、10万円程度のネックレスを盗むことと、交通事故の死亡による法律上の罰則は同じくらいということ。「だれでも間違いで犯してしまうのだからしょうがない」とは加害者の弁。はたして被害者はどう感じるのか。自分が被害者だったらどう思うのか。

実は最近身近な人から、加害者になってしまった本当の話を聞いた。
「毎年1万件」の1件にあたるのだろうが、実際これまで生きてきたなかで初めてのケース。だからこのテーマは応えた。
はたしてそんなリスキーな思いをしてまで車に乗りたいのか。
若い頃は「車でひくぐらいならひかれるほうがマシ」などと意味不明な理屈を並べていたが、当然ことはそんなに二択で割り切れるほど単純ではない。

「交通事故は大変だよ」などと訓示を垂れるのではなく、こういう文章を読ませ、考えること。加害者、被害者の身になって考えること。
文学の力を改めて再認識した。